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永遠という名の幻想


カナダでは、70年代から80年代にかけてRUSHという同国の国民的グループバンドの音楽がラジオから流れない日はないほど絶大な人気を誇っていたのをご存知でしょうか。彼らのスタイルはいわゆるプログレ(様々なテイストのロックを包括した革新的なジャンル)の象徴で、音楽性の素晴らしさは言うまでもなく、独特の楽曲構成や 神秘的な歌詞をユニークかつシームレスに織り成すことでよく知られていました。


ベーシスト兼ボーカルのゲディ・リーは彼らを代表する曲のひとつ「トムソーヤ」の歌詞に「変化は不変ではない、しかし変化は不変である」という一節があります。哲学をサウンドにのせた彼らのスタイルは今でも強く印象に残っています。


彼らの楽曲が哲学的である事を知った時、私は大変衝撃を受けました。さらに驚愕であったのは、私の生活の一部であるインド哲学の世界が、いつも車の中やホッケーの試合前の控室で流れていたこのサウンドで表現されていた事、これは本当に思いがけない出来事だったのです。


RUSHや私の青春時代の音楽については語り尽くせぬ程たくさんありますが、今回は「無常」という大切な概念に目を向けてみたいと思います。



ヨガの哲学によると、苦しみを軽減する方法の一つは、自分自身と周りの世界を正しく見ることです。しかしこの「正しい見方」は、無知というベールに覆われやすく物事がぼやけて見えがちなのです。そのため私たちは、無常をつい永遠のものだと勘違いしてしまうことも多々あります。今ある健康はきっとずっと続く、今、友人や家族は安泰だから、この先もきっとそうであろう、というように。


ところがある日突然、人生は回り道をしたり、真っ向からの衝突に巻き込まれ全てが一変する事があります。その証拠に、私たちに必要のなかった病気や死、企業の破綻、失業、精神そして身体の健康へ影響を引き起こしてたパンデミックがあります。



しかし、無常を実感するためにこのような災難が必要なわけではありません。歳を重ねるだけでも無常について正しく見る事はできるのです。今までしていた事が突然できなくなる、食べていたものが食べられなくなる、夜更かしができなくなる等、はっきりとした影響を感じずにはいられなくなるのです。(もちろん、ヨガとウェルネスの習慣でこれらの影響を大幅に遅らせる事ができるのは言うまでもありませんね!)


パタンジャリは、2500年前にまとめられた古代のヨガの知識の中で、永遠と真実に対する私たちの無知というテーマについて触れています。このことは、私たちが人生のどこかで直面する不安や苦しみに向き合い乗り越えるための助けになるかもしれません。



“Ignorance is regarding the impermanent as permanent, the impure as pure, the painful as pleasant and non-Self as the Self.”*1
「無知とは、無常を永遠とし、不純を純粋とし、苦しみを快楽とし、無我を自我とすることである」*1。

パタンジャリの素晴らしさは、比類なき文法学者として、膨大な知識を「スートラ」と呼ばれる格言に簡潔に集約できたことです。しかし裏を返せば、このたった10文字*2の短い文章の中に、私たちが紐解くべきことが詰まっているという事でもあります。ということで、今回は「永遠不変」の概念に関連する部分だけを取り上げておきましょう。


まず注意して欲しいのは、「知らない方が幸せ」は誤りだという事です。東洋哲学では、無知はまさにすべての苦しみの根源とされています。


次に、私たちの無知は、何が永遠で何がそうでないかを見誤ることを伴うと言われています。具体的には、物、お金、仕事、健康、体、心など、無常を永遠だと勘違いし、逆に永遠なもの、すなわち「ハイヤーセルフ(本当の自己)」に気づかないために、私たちは苦しみを抱えているのです。


「ハイヤーセルフ」という概念に少し抵抗を感じているのは決してあなただけではありません。私たちの多くは、難解なものを漠然とした知識として理解しているだけで、その先へ到達するには少し時間が必要です。結局のところ、ハイヤーセルフの概念の本質は不明であり、表現することはできません。例えるならば、ジャマイカンリリコイというトロピカルフルーツの味をそれを知らない人に説明するようなものです。(もし、まだ食べたことがないのなら、ぜひ試してみてください!)


では代わりに、もっと具体的なもの、つまり執着という形の無知に目を向けてみましょう。人間は執着するように作られた生き物です。物、ペット、仕事、家、ヒト、ライフスタイルや地位、食べるものにも。執着とは、こうした物やヒトが常に自分の周りに今のまま変わらず存在し続ける、という間違った概念の事なのです。さらに、現状を維持するために、自分にも何らかのコントロールができるという勘違いも二次的な要因となっているでしょう。ゲディーが言うように、変化は避けられないのです。


What’s here is here until it's not.
「ここ」にあるものは、そうでなくなるまで「ここ」にあるのだ。


このように、「無知」というものはハイヤーセルフだけに存在するものではありません。無知とは日常生活の様々な場面で現れるものです。私たちはその存在に気づいていくべきでしょう。そしてそれに気づく方法とは、注意深く自問自答をする事です。「私は今起きている事に向き合っているだろうか?」「私は一日一日を、一回一回の呼吸を最大限に活用しているだろうか?」「物事に固執しすぎて自分を苦しめていないだろうか?」このプロセスを何度も繰り返すことで、パタンジャリが言うスヴァルーパ*3あるいは「ハイヤーセルフ(本当の自己)」と呼ばれる唯一無二の永遠に自然と引き寄せられていくのです。だからこそ パタンジャリは、「これから起こる苦しみは避けることができる」*4と、私たちに希望を与えてくれています。その方法は、人生、物事、そして自分自身を正しく見るための私たちの生涯をかけたサーダナ(練習)の過程です。人生の旅はそういうものです。自分の人生の主役となり、注意を払い、時に軌道修正をし、内面と外面を観察する事で永遠という名の幻想に惑わされそうになる自分は取り戻す事ができるのです。




*1 Patanjali Yoga Sutra (PYS) अनित्याशुचिदुःखानात्मसु नित्यशुचिसुखात्मख्यातिरविद्या ॥ २.५ ॥

anityāśuciduḥkhānātmasu nityaśucisukhātmakhyātiravidyā || 2.5 ||


*2 anitya-aśuci-duḥkha-anātmasu nitya-śuci-sukha-ātman-khyātir avidyā


*3 PYS: तदा द्रष्टुः स्वरूपेऽवस्थानम् ॥ १.३ ॥ tadā draṣṭuḥ svarūpe'vasthānam || 1.3 ||


*4 PYS: हेयं दुःखमनागतम् ॥ २.१६ ॥ heyaṃ duḥkhamanāgatam || 2.16 ||

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